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オリジナル輪織り機「おりりん®」で繋ぐ、人の和と創る喜び

どこの家にもありそうな麻ひもとダンボール。ダンボールに麻ひもを巻きヨコ糸を渡していけば立体的なバッグになるのでは?そんな「ヒラメキ」から生まれた「輪織りバッグ」。考案者である歌川智子さんは、染織クリエイターとして作品を発表するとともに、オリジナル織り機「おりりん®」を使った講師育成講座を開講するなど、輪織りバッグづくりの楽しさを多くの人に体感してもらうための精力的な活動をされています。歌川さんのこれまでと未来への思いについてお聞きしました。

手しごと好きの母、美大での学び、子ども向けの創作教室。その経験がヒラメキの原点

「輪織りバッグ」を考案されたきっかけとは、どんなことだったのですか?

すべての始まりは、今から20年以上前のある夏の日です。夏用のバッグを買いに出かけたのですが、気に入ったものがなくて帰宅したところ、自宅にあった麻ひもが目に入りました。「このひもを板の両面にかけてヨコ糸を渡していったらカゴバックになるんじゃない?」とふと思いついたんです。ダンボール板の上下に切り込みを入れ、タテ糸を両面続けて巻きながらかけ、そのタテ糸を一本おきに手で拾い上げながらヨコ糸を通し、織り目を詰めるようにクシをかける。この作業を繰り返すと、筒状のわっかになった立体的な織り地ができるはず――そう考え、工作の要領でダンボール板を加工し、ヨコ糸を巻くシャトルは食品トレイを再利用、クシは100均ショップで買って、と、身近にある素材で作った織り機が、「輪織り機第1号」。できあがったバッグが「輪織りバッグ第1号」です。

このヒラメキの背景には、3つの要因があったと思います。一つ目は、手しごとが好きで、家業の合間に洋裁や編み物などをしていた母から受けた影響、二つ目は、発想をカタチにすることの楽しさや道筋を学ぶことができた美大時代の経験です。私はデザイン専攻だったのですが、テキスタイルを学ぶ友人もいて、織物の原理というものを漠然とわかっていたことも思いつきをカタチにできた要因だと思います。

そして、三つ目は、3人の子どもを授かったことが縁で始めた子ども向けの「創作教室」を開いたことです。自身の子どもに既存のおもちゃばかりで遊ぶのではなく「作って遊ぶ」経験をしてほしくて家にある空き箱などを使って一緒に工作をしていたんですが、そのうちママ友さんから「うちの子にも教えて」と言われて教室を始めることにしました。「創作教室」ですので、お絵描き、工作、手芸から料理まで、「作る楽しさ」を味わえることならジャンルを問わず取り入れ、子供達に楽しんでもらえるよう、脳みそを振り絞って(笑)、アイデアをひねりだしていました。麻ひもやダンボールといった素材が家にあったのも教室をやっていたからですし、新しいことを考え出すという体験をしていたことが道具や手法そのものをイチから考え出すということに役立ったのではないかと思います。

 こうして生まれた手作りの織り機で輪織りバッグを作って以来、イチから素材を作る「織る」「染める」といったジャンルにのめりこんでいくようになりました。織物は、古代の遺跡から発掘されていることからもわかるように、人類の進化を前に進めた原動力のひとつ。織物に夢中になったのはDNAに刷り込まれた「織る楽しさ」のようなものに突き動かされている、ということもあるのではないかと思っています。染色については、自分の思い描く色が出したくて、コーヒーなど家にあるもので染めることからスタートし、独学で試行錯誤しながら、今では麻専用の染料を使い、様々な技法を使って工夫をしています。

▼初めて作った、輪織りバッグ第1号


講師としての活動も広がり、「おりりん」®誕生!

輪織りの講師、染織クリエイターとして活動されるようになった経緯を教えてください。

輪織りで作った私のバッグを見た知り合いが興味を持って下さり、お教えするようになったのが輪織り講師の第一歩です。輪織りバッグは、編んだバッグ以上に素材そのものの風合いがそのまま生かされますので、そうしたナチュラルさを気に入ってくださる方がいらっしゃったのだと思います。さらに、本格的な機織り機は置き場がなくて諦めてた方々が、こんなに簡単な道具なら自分でもできる!とたいへん喜んでくださいました。以来、定期的に教室を開催し、ワークショップも開くようになり、ありがたいことに何千人もの方が輪織りを体験してくださっています。

一方、クリエイタ―としての第一歩は、ご縁があって、アート関連のフリーマーケットに出展させていただく機会を得たこと。そこで、2000年当時できたばかりの東京・立川駅の百貨店のバイヤーさんから催事に出店してみないかとお声をかけていただいたのです。母の影響で手仕事は好きでしたが、生業にするなんて想像もしていなかったので、自分の作ったものの価値をきちんと認めて対価を支払って購入してくださる方がいらしたことは、望外の喜びでした。

また、こうした活動を通じて、ハンドメイド作家の先輩方と出会ったことも、大きな転機をもたらしてくれました。催事などで接客の合間にダンボールの輪織り機で作業していると、興味をもったお客様が作り方を見たり聞いたりしてこられるのですが、その様子を見た先輩が「織り機はあなたのオリジナルなのだから、アイデアを守った方がいいよ」とアドバイスしてくださったのです。そこで、2002年、手作りの輪織り機に「簡易両面織り機」という名称を付け実用新案を取得しました。

このことは、講師としての活動にも大きな弾みを付けてくれました。名実ともに自分で考案したことが保証され、胸を振って講習会が開けるようになったことでご縁が繋がり、2012年には、ハンドメイドクラフトのプロの育成・輩出を目的に、通学、通信講座により資格取得ができる「楽習フォーラム」で輪織り認定講座を開講することが出来ました。教材用に改良した樹脂素材の織り機で実用新案を再取得し、「おりりん®」という名称を付け商標登録もしました。この「楽習フォーラム」で輪織り初心者からスタートし、教室の先生として活躍している人が全国にたくさんいらっしゃいます。

一方、作品作りや自宅教室などで使用しているダンボールの織り機は<エコおりりん®>と呼びます。織り機自体を一から作るので、バッグや雑貨までどんなサイズのものでもできるのがいいところ。その利点を生かして、教室では、お手本どおりのものを全員が作るのではなく、自分の好きな色やデザインで自由に作っていただいています。

シンプルな道具、手法でありながら奥が深くて個性が表現できるのが輪織りの魅力

講師として創り手として、輪織りに関わっていて感じる喜びとはどんなことですか?

私にとって、作品を「創る」ということと、創る楽しさを「伝える」というふたつのことは、車の両輪のようなもの。両方やってきたからこそ、20年以上続けることができたと思っています。お子様からお年寄りまで、多様な方と教室やワークショップで出会うことによって得られる刺激がクリエイターとしての進化に寄与しているのは言うまでもありません。

「伝え手」として嬉しいことは、「輪織りの楽しさ」を伝えるということが「つながっていっている」ことですね。講師として活躍されている方もそうですし、ご自身の職場で、学んだことを伝えていらっしゃる方もいます。例えば、教室やワークショップには高齢者の方や障害のある方の支援施設などで働く方が、「利用者の方のリハビリやリクレーションのために」と学びに来られることがあります。輪織りは、タテ糸にヨコ糸を交互に織り込むシンプルな作業の繰り返しで、縫い合わせがなく簡単に使えるバッグができあがりますし、軽くて持ち運びができる織り機は場所を取らず、大勢で一緒に作るのにも向いています。同時に、道具が簡単だからこそ、力の入れ加減や丁寧にやるかどうかで、完成品のでき映えはまったく違ってくるのです。その絶妙な難しさ加減、挑戦のしがいが達成感となり、手しごととして「ちょうどいい」のだと思います。輪織りは私が考案したものですが、こうした魅力を見出し、それぞれの場で多くの人の笑顔を増やすために活用してくださっている方がいるというのは、本当に大きな喜びです。

「創り手」として作品を作っていて改めて実感するのは、輪織りの奥の深さでしょうか。織り・染め・縫製まで一人でやりますので、新たな工夫はいくらいでもできるのです。また、裂き布や革、毛糸といった異素材と組み合わせたりとバリエーションは無限です。そう、「自分を表現できる」のが輪織りのいいところ。生徒さんの作品を見ていても、いくつか作っていくうちに、次第にその人の「作風」のようなものが出てくるのです。毎年生徒さんたちの作品を集めて「オリンピック」ならぬ「おりりんピック」(笑)を開催しているのですが、個性豊かな作品がたくさん集まって、私自身も大いに刺激を受けます。また、学んだ人が放つ「個性」を認めてくださるお客様が付くことで、微力ながらハンドメイドの「プロ」を育てるお手伝いをさせていただけているということも、とても嬉しいことだと思っています。

クラウドファンディングで実感した大勢の人の支え

近況と今後の夢について教えてください。

多くの方にとってそうだと思いますが、コロナ禍は私の生活、活動にも大きな影響を与えました。2015年に主人を亡くしハンドメイド一本で生計を立てておりましたが、教室が開けなくなり収入が激減し、夜勤の仕事を始めたりと悩み迷う日々の中で、改めて自分を見つめ直すことに。見出した結論は、「私はものづくりを続けたい」ということでした。そこで、勇気を出して、クラウドファンディングで資金を調達することに。もちろん、初めての経験ですし、うまくいく自信なんてこれっぽっちもなくて、不安しかありませんでしたが、結果は、わずか一週間で目標額を達成!何年も前に教室に通ってくださっていた方や体験会に来てくださった方などから、ご支援とともに励ましのお言葉をいっぱいいただき、毎日毎日感謝、感激の涙、涙。長い間、会っていない人、今は会うことができない人も含め大勢の人に支えていただいて、今の自分があるんだ、と心から実感しました。また、クラウドファンディングをきっかけに輪織りや「おりりん®」に興味を持ってくださる方も増えて、未来への希望を抱いています。

こうして大勢の人に支えていただいているからこそ、これからも、伝え続け、学び続けていきたいです。創り手としては、繭をゆずりうけ、シルクの織物を一から作ることにも挑戦中です。また、輪織りバッグと手織りストール&手織り服で、全身コーディネートのバリエーションをもっと増やしてみたいと思っています。



最後に、これから手しごとを始めてみたいと考えている方にメッセージを。

コロナ禍によっておうち時間が増え、手しごとに挑戦してみたいと考えている方も多くいらっしゃるのではないかと思います。そんな方には、「上手に作らないと」、「失敗しないようにしないと」と考えすぎず、創る楽しさを味わっていただきたいと思います。その楽しさを味わうための一歩は、まずやってみることではないでしょうか。ちなみに、今でも大切にとってある私の「輪織りバッグ第1号」は、見返すと、拙くて失敗だらけ(笑)。でも、それは、私にとって「たった一つの初めての作品」。創っていた時間も含めてたまらなく愛おしいものです。その愛おしさを大勢の人に知っていただければと思います。

※2021年3月時点の内容になります。

プロフィール
歌川 智子さん
「はじめての輪織り麻ひもバッグ」著者であり日本輪織り協会代表。1999年夏、麻ひもとダンボール板で作った麻ひもバッグが評判になり、教室を開くとともに、アートフリマに出展し輪織り麻ひもバッグ作家として活動を開始。2002年実用新案を取得し独自に考案した技法であると証明され、クラフトイベントやギャラリーなどへの出品や講習会などでおりりん®普及に取り組む。輪織り&おりりん®の魅力を発信しつつ、染織クリエイターとして、手織り輪織り染色糸紡ぎなどを駆使した、独創的な作品作りを行っている。
(プロフィールは記事掲載時のもの)
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インスタグラム
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詳細URL
日本輪織り協会HP
画像・テキスト資料出典
歌川智子公式HP

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