その人の存在を、内面の美しさを、引き出す服を仕立てたい。技術の伝承者、クチュリエ―ルの矜持。
東京、田園調布駅から歩いて6分ほどのところに小沢美紀さんが営む「だりあ洋装店」があります。オーダーメイドを仕立てるクチュリエ―ルとして活動しながら、アトリエでは様々なレッスンやワークショップを開催。初心者からプロを目指す方まで様々な方が訪れています。クチュリエ―ルとしての素晴らしい技術はもちろん、その明るく気さくなお人柄にも多くのファンを持つ小沢さん。海外で活躍されてきた経験も豊富です。どんな人生を歩んでこられたのでしょうか。話をお聞きしました。
「とっておきの1着」が生まれる、学べる、洋装店を経営
オートクチュールのお洋服の仕立て、レッスン、洋装店の経営、イベントのお洋服の製作も!かなりお忙しくされていますね
実家で母が営んでいた洋裁店の一角でレッスンをスタートしたことが、最初のきっかけです。服作りの現場で長く働いていた経験から「みなさんには本当のおしゃれを楽しんでもらいたい」と思うようになりました。私が作るお洋服は1着で2WAY、3WAY……と何通りも楽しめるように、さらにサイズの変更もしやすいよう縫い代も工夫しています。1着のお洋服をいつまでも大切に着て欲しいのです。もちろんデザインとのバランスで難しい面もあり、贅沢な作りにもなりますが、敢えてそこを丁寧にすることはお洋服への愛着や愛情につながると思うのです。
アトリエではレッスンも行っており様々な年代の方が参加されています。ブライス人形のミニチュアのお洋服を作る講座や、1日で自分のブラウスを作り上げるワンデイレッスンが若い世代に人気です。ビーズ刺しゅうのレッスンは60代後半から70代など年配の方もいらっしゃいます。「キラキラしたビーズの刺しゅうが楽しい!」とみなさんマイ拡大鏡を携えて参加されています(笑)。互いに作品を見せ合って「素敵ね!」って励まし合ったり褒め合ったり、みんなで達成感を共有できることが集まって手仕事をする魅力だと思います。
生意気盛りの私が生涯の師匠と出会った、深く濃密な修行時代
洋裁をはじめたきっかけを教えてください
大学では国際協力の分野を学びたいと思っていましたが、当時はそれを学べる大学がなく諦めてファッションやデザインの大学に入学。ですが実は入学するまで洋服を縫ったことがなく、宿題は全て母が作っていました。デザインをすることは好きでしたのでスカートのデザイン画を描いて作ってみるものの、全く履けない……という状態(笑)。裁縫技術の成績は卒業までふるいませんでした。
新卒でアパレル会社のデザイナー職として入社。海外事業部に配属されましたがそこにはデザイナーとしての仕事はありませんでした。その時の上司が、せっかく大学で学んだのだから取引先の縫製工場のアトリエで技術を磨いては?と2年間出向に出してくれたのです。そこで生涯の師となる先生と出会い、直接指導を受けられたことが人生の最大のターニングポイントとなりました。先生の教えのお陰で今の私があるといっても過言ではありません。
先生は、日本の縫製技術の特許のほとんどを持つすごい方でした。そんな方から2年間みっちりマンツーマンで技術を学べるのです。普通だったら誰もが羨む機会、ですが当時の私はその価値が分からず生意気で自意識過剰。実力が伴わないのに言いたいことだけは言う、そんな私でしたから最初の1年間はただひたすら怒られるだけの毎日でした。
1年を過ぎた頃、先生は私に1枚だけサンプルの服を縫わせてくれたのです。それが大きなきっかけになりました。
作品のサンプルを仕上げた瞬間、何とも言えない嬉しさが心の底からこみあげてきたのです。どこをどのように縫うべきか?美しい縫い方とは?といった細かな技術が伴って初めて「デザインは素晴らしいものになる」ことが分かった瞬間でした。作品を生み出すことができた「達成感」と、作品のその「美しさ」に、ただただ感動し深く魅了されたのです。作品を手にした先生も「この服なら世に出していい」と初めて認めてくれました。
本当に厳しく辛い日々でしたが、1年経って自分ができるものが明らかに変化していることに衝撃を受け、それからは先生の一挙手一投足を見過ごすまいとサンプルを分解するべく観察、深く考えるようになりました。
2年後先生の定年退職を機に、私も学んだ技術を携え、前からの夢だった国際協力の分野で働こうと会社を辞することにしたのです。
「アパレル」と「国際協力」。2つの縁に導かれ、輝かしいキャリアを重ねる14年間
退職後は海外ボランティアとしてマレーシアで縫製技術を教えました。ですが学んだのはむしろ私の方。人としてどうあるべきか、人間力を磨かねばならないと実感した2年間でした。
その後は、国際協力とアパレル業界のどちらの世界で働くかを悩みましたが、先に内定した有名アパレルメーカーでパリコレの企画職として働くことに。バブル全盛期でファッション業界も華やいでいる時代。年2回2ヶ月間ずつパリに滞在するという時代の最先端をいく環境で、多くの刺激を受けセンスを磨きましたが、4年後仕事をやり切った感覚があったので退職することにしました。
次のステップは、大手企業が手掛けるアパレル事業の縫製工場立ち上げと運営のオファーをもらいスリランカへ。マネジメントがメインの仕事でした。例えばスリランカから日本へ納品した製品を開封すると「カレーの匂いがする」とクレームが。現地では毎日カレーを食べます。そのため製品に匂いが移り、製品を包むビニールの中にこもってしまうのです。互いの文化を尊重するため従業員にカレーを食べるなとは言えません。そこで私たちは工場にシャワー室を設置し、こまめな手指消毒を徹底することしました。「福利厚生でシャワー室を作ったから、仕事の前に浴びて気持ちよく仕事をしてね!」「布やミシンに触る前には必ず手指消毒を!日本は衛生観念が厳しいの」と説明。皆が協力してくれたため無事解決。そんなマネジメント力を磨く4年間でした。
海外生活最後のオファーは、一度諦めたはずの国際協力の分野からでした。カンボジアで帰還難民の自立支援をする仕事です。海外で仕事をして感じていたのは、現地の人々が誇りに思っているものを大切にしなければ、彼らに受け入れてもらえないということ。そこでカンボジアの誇りである伝統織物を見つけ出し、復興のため支援するプロジェクトを推進。4年半働きました。その経験は、現在「旅するブライス」というレッスンの原点になっています。
レッスンとオートクチュール。手仕事の世界に舞い戻る
洋装店を営もうと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか
長い海外生活から帰国。そのあとは10年ほど洋裁と離れる時期を過ごしました。そんなある日、海外で買い集めた織物でブライス人形の民族衣装を作りSNSに載せたところ、「習いたい!」と驚くことに多くの反響があったのです。そこで本格的にレッスンをスタートしようと母の洋裁店を引継ぐことに。このことが手仕事の世界へ戻るきっかけになりました。
レッスンからスタートした洋装店ですが、オートクチュールの看板も出すことにしました。修業時代、既製服だけではなくオートクチュールのテーラーリングも学んでいたためテーラーの技術が自分の中にあったのです。さらにオートクチュールビーズ刺しゅうのディプロマコースにも通い技術を磨きました。
お店をスタートした2013年頃はファストファッション全盛期。でも本当は、その前の時代がそうであったように、もっと着心地の良い服が着たい、モノを大切にしたい、美しく質の良いものに触れたいと、みんな心の中で思っているのではないか、そういう時代が戻ってくるのではないか、と考えその想いをオートクチュールの看板に込めました。何百年と続く歴史を持つオートクチュールの伝承者としての使命もあります。
まさしく、現在その通りの時代になってきたと感じます。今後はどんなお洋服を作りたいと思っていますか?
「Theその人」みたいなお洋服が作れるようになりたいですね。「あなたがそこにいる」とはっきりとわかるようなお洋服です。オーダーに来られたお客さまにはなぜ服を作りたいのかなどをインタビューします。骨格や体のバランスの他、似合う生地が全く異なるため肌の質もしっかり見ます。幅広い観点から、お客様が求めるものや在りたいと考えているものに近づけつつ、その人だけが持つ内面の美しさや洗練さを引き立たせるようなオンリーワンの仕立てをしていきます。
私が作った服を着ていくと、お客様は周囲から「スタイルが良く見える」「集合写真ではあなただけが目立つ」と言われるそう。みなさん服を着たお客様の中に「その人らしさ」を感じ取ってくださっているのだと思うと嬉しいですね。
自分らしく生きることや人との関わり方を大切にする時代になったと感じています。コミュニケーションの取り方も変わりましたよね。単にネットか、リアルか、という選択ではなく、人とより深いコミュニケーションをとるにはどうすればいいか、という発想になっていくでしょう。その中でお洋服が大きな役割を果たせたら嬉しいなと思います。
楽しむことが上達へのコツ。それぞれの美しさをめざして
最後に、手仕事を楽しむ「てといと」読者のみなさまに、「上達するコツ」を教えていただけますか?
反復練習につきます。でもただ反復するのではなく、楽しくやることが上達につながります。楽しいと周囲を見る余裕ができて、探究心も芽生えます。例えば「このステッチをすると糸がクルクル回ってしまう」となった時に「手首の使い方が違うのかな?」と自分なりに研究しますよね。楽しさがない人は「なぜ糸がクルクルするのっ」って糸を見つめ悶々とするだけで、作品全体を見ることもないでしょう。楽しめれば工夫ができるし周囲にも聞きやすくなり上達も早いのです。
技術的なことで言えばメカニズムを知ることです。糸はS撚りのため手首を返すとねじれてしまいます。糸はどのように撚られているか、針はなぜ垂直に刺すのか、ということが分かるとさらに上達します。
みんな美しいものが好きだし、美しいものを作りたいと思っています。でも「美しさ」の定義は人それぞれ。手仕事を通してそれぞれの「美しさ」に行き着いて欲しいと願っています。
※2022年8月時点の内容になります。
プロフィール |
小沢美紀さん 東京生まれ。大学でファッションデザインを学んだあと、国内トップクラスの縫製メーカーでパターン及び縫製技術を習得。 大手アパレルメーカーの企画職を経て、国内外のパリコレブランドにて企画を担当。ヨーロッパでの活動後、スリランカでの縫製工場立上げやカンボジアでの戦争未亡人向け職業訓練カリキュラム作成等に関わり10年以上にわたる海外暮らしでさまざまな手仕事を学び帰国。 2013年、30余年の歴史を持つ母の注文婦人服店を引き継ぎ「だりあ洋装店」を開店。手仕事のワークショップやレッスン開催の傍ら、デザイン・パターン・仕立て、刺繍を中心とした手仕事等、服作りの全ての工程を手掛けるクチュリエールとして活動。洗練のヨーロッパとアフリカやアジアの美しい手工芸をミックスした独自のスタイルを提案している。 現在、ビーズ刺繍レッスン、旅するブライスレッスン、独自に開発した「だりあメソッド」を用いたソーイング教室(クチュリエール養成講座)を開講するとともに、美しさにこだわった服つくりを中心に著名人からの専属オーダーメイドのお仕立てを受けている。 (プロフィールは記事掲載時のもの) |
だりあ洋装店ホームページ |
https://www.maisondedahlia.com/ |
だりあ洋装店ブログ |
https://ameblo.jp/maisondecherryberry/ |
インスタグラム |
だりあ洋装店インスタグラム |
詳細URL |
だりあ洋装店 |
画像・テキスト資料出典 |
だりあ洋装店 |